クィア・ミュージックの情報アーカイブ


Queer Music Review -Live Review-

dEliver from 大吾 y

2005年6月5日 at 新宿二丁目コミュニティセンター akta

出演:大吾 y

dEliver from 大吾 y

大吾 y は、ライブ・イベントの出演の機会が向こうからやってくるのを待つのではなく、自分たちの手でライブの機会を切り開いている。しかも、規模をやみくもに大きくすることを好しとはせず、彼らは常に、オーディエンスとの距離にこだわっている。オーディエンスの手に届かない場所に行こうとするのではなく、常に「コミュニティの仲間のひとり」という距離を保とうとしている。

だからこそ、大吾 y のライブが持つ意味性を読み取ろうとするならば、それは「ゲイ・インディーズ・シーンに対してどうだったのか」という業界内部の視点よりも、「オーディエンスに対してどういう意味性があったのか」ということを、先ず第一に考えなければいけない。(もちろん、業界内部の視点も、それはそれで重要なのだが)

たとえば、今回の「dEliver from 大吾 y」は、新宿二丁目のコミュニティ・スペース、akta を会場にしておこなわれている。このことの意味性というのは、「大吾 y の音楽を聴くことが目的のオーディエンスを、HIV について考えるためのスペースに誘導した」ということだ。至って当たり前のことをいっていると思われそうだが、これは非常に重要だ。

ゲイ・インディーズの音楽というのは、各アーティストのスタンスや音楽性がどのようなものであれ、何らかの形でゲイのオーディエンスを啓蒙し、誘導する性質を最初から備えている。たとえば、ゲイ・インディーズのライブ・イベントは、クロゼットの人たちにとっては、ゲイ・バーやゲイ・ナイトと比べて、ゲイ・コミュニティの入口としやすい。男同士の性愛に罪悪感や特殊な意識を持っているうちは、ゲイの集まる場所に足を運ぶと、自分が周囲から品定めの視線で見られているのではないかという自意識過剰の状態に陥りがちだ。だがライブ・イベントの場合は、そこに集う客の視線はすべてステージに集中している。したがって、自意識過剰に陥ることなく、安心して自分以外のゲイが集う場所に自分を置くことができる。そして、恋愛やセックスだけに支えられているわけではない「コミュニティ」という自分の居場所を、そこに見つけることができる。

HIV の問題についても、ゲイ・インディーズの音楽は、オーディエンスに対して似たような機能を果たすことができる。つまり、HIV の問題を考えるための場でライブをおこなうことによって、音楽が主目的で集まった客に対して、「 HIV は我々自身の問題なのだ」ということを、改めて知らしめることができるのである。今回の大吾 y の「dEliver from 大吾 y」や、VOICE などのイベントは、まさにこれだ。

ただ、NAGOYA LESBIAN & GAY REVOLUTION の場合は、イベントのメインは検査にあるのであって、ステージでおこなわれるライブではない。だから、いま述べたような性質は、「dEliver from 大吾 y」に最も良く当てはまる。

「どのような場所でライブをおこなうか」という部分にメッセージを籠めるゲイ・インディーズ・アーティストは、現状の東京では少数派に属するだろう。音響設備の問題などもあって、そうそう身軽にライブを敢行できないアーティストも多くいるのだろうけれど、今の大吾 y は、まず何よりもオーディエンスの前で歌い、演奏することこそを最優先させている。そして、自分たちの音楽がオーディエンスに与える意味性を、非常に重要視しているように見える。

今回のパフォーマンスでは、「伝えたい」におけるシンセサイザーの導入という試みも特筆すべきなのだが、藤嶋が強い印象を受けたのは、Suzuki Rizin.のカバー曲「You.」と、ライブのタイトルにもなっている、新曲の「deliver」。

「You.」は、2001年12月15日に新宿で開催されたゲイ・インディーズのアコースティック・ライブ・イベント、GLAP2001を記念して Suzuki Rizin.がリリースした限定盤「Winter CD.」に収録されていた楽曲である。そして、ピアノ・アレンジメントを担当していたのが、現・大吾 y の、ゆぅである。その「You.」を、オリジナルと同じくゆぅの演奏で、今度は大吾が歌ったわけだが、この曲のジャジーなテイストは、大吾のボーカルにこれまでにはなかった表情を与えていた。

これまでの大吾のボーカル・スタイルは、伸びやかでよく響く声を活かした熱唱型だった。しかし今回の「You.」では、淡々とした曲の雰囲気に合わせて、ぐっと抑制の効いたボーカルを聴かせてくれた。

大吾の生真面目なキャラクターは、その歌声に高潔さを与えてはいたけれど、その一方で、良い意味での生々しさというか、生活感のようなものは、希薄だったかもしれない。だが、恋愛という営みの生活感が温かくリアルに描写されている Suzuki Rizin.の楽曲を、抑制されたスタイルで歌い上げることによって、その種の生活感が、大吾の表現に新しく備わったように思う。「人間くささ」というか、ね。

加えて、リズムに体を軽く揺すりながら歌う大吾の姿も、藤嶋には新鮮だった。もちろん、「With」のようなリズミカルな作品も大吾 y にはあるが、「You.」を歌っているときの大吾は、「With」を歌っているときのように意識してリズミカルであろうとしているのではなく、ジャジーなメロディとリズムに自然と体がスイングしているような雰囲気で、そうした大吾の姿を、藤嶋は今まで観たことがなかった。

ジャズのリズムにごく自然に身を委ね、抑えたボーカルを聴かせた今回の大吾は、生真面目であるがゆえにこれまではなかなか前に出てこなかった、ほんのりとした色香のようなものを、聴く者に感じさせてくれた。それは大吾の表現の新しい可能性の一つだと思う。

やっぱり大吾 y は、ジャジーなナンバーをもっと歌ってもいいんじゃないかな。

それともう一つ、新曲の「deliver」のスタイルは、これからの大吾 y のスタンダードになるのではないかという予感がした。

大吾 y の看板曲というと、春日亮二の作である「PSYCHOPHOR ~心搬体~」を別にすれば、1st シングルとして制式リリースが決定した「Heaven's Soul」と、「With」の2曲が挙げられるだろう。この2曲は、いってみれば大吾 y の「静」と「動」の両極に当たる。そして、その2曲を経て生まれた「deliver」は、「Heaven's Soul」の「静」と「With」の「動」をあわせもった、動的な要素のあるバラードだ。

つまり、現状での大吾 y のポテンシャルがすべて詰め込まれた曲、と言えるのではないか。

バラードが主体のアーティストは、ゲイ・インディーズでも珍しくないが、動的なバラードというのは、どちらかといえばダンス・ミュージック主体のアーティストに多いタイプの作品で、その意味でも、「deliver」のように前向きで動的なバラードは、大吾 y のカラーを特色づける作品になり得るのではないか。

Text by Takaki Fujishima

(文中敬称略)



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