クィア・ミュージックの情報アーカイブ


Queer Music Review -Live Review-

SOUND SUMMIT 2005

2005年7月10日 at 博多 The Voodoo Lounge

出演:
蛇女THmDevice Thousand/Sweet Bite/SoulmateS/Trouble Pitt/M'KEYSOTO-ZOU博多あやや/響子+caRchaRights Of Darkおわっとう(出演順)

SOUND SUMMIT 2005

今回、博多に初上陸の藤嶋。

初の博多だというのに、ろくな観光もせず、バーにすらも行ってないんだけど、SOUND SUMMIT 2005を観ることこそが目的の旅だったから、その目的を果たすことができて、至極ご満悦。

SOUND SUMMIT 2005、トップバッターは、蛇女(JA-JO)

いきなり激しく笑えました。

こーゆーパフォーマンスって大好き。いつの日か東京ライブを熱烈希望。

基本テイストは昭和歌謡。「相変わらずね」という楽曲は、2003年にリリースされたコンピレーション盤『Q.com』にも収録されているんだけど、蛇女のパフォーマンスは、おそらくは蛇子こと cookie の指向による、インドネシアの民族音楽の要素が全編に溢れていて、単なる昭和歌謡路線では終わらない、完全に蛇女オリジナルの妖しい作風(というか芸風?)が確立されていました。

独特のキッチュな世界をしっかりと作り上げつつ、その一方で、蛇女のパフォーマンスは良い意味で緩い(笑)。ふたりの親しみ易いキャラクターによって、オーディエンスが笑いながらツッコミを入れることのできる隙があって、それが昭和のオカマにありがちなトゥー・マッチな毒々しさを清めていて、誰が観ても楽しめるステージになっている。

あと、飛び道具役の蛇神も、蛇女のパフォーマンスには欠かせない。ていうか、コワいです、蛇神。

話によると、これまでの蛇女のライブでは、蛇神はそれほど大きなアクションを見せてはいなかったそうなんだけど、今回のライブでは、終盤になって蛇神がステージの前面に突如として踊り出て、ハービー・ハンコックの「Rock It」のビデオ・クリップを思い出させるような、不気味なパントマイムを披露。客席にいた某出演者の親類の子が、怯えて泣き出してしまうという予期せぬ展開がありました(笑)。

でも、こういうユニットって、ゲイ・インディーズには必要。藤嶋は蛇女を、単なる企画モノとは考えてません。これからももっともっと活躍してほしいユニット。

続いての登場は、THm。カケジクとけんけんによるユニット。5月15日に札幌で開催された NORTH POINT 2005~spring~に続いての出演。

THm としてのカケジクとけんけんは、ふたりそろってオーバーオール姿。可愛い。

NLGR2005昼ヒットスタジオのレビューでも書いたように、カケジクには「これぞ王道!」って感じの明解な曲調が、すごく似合っている。それは THm の場合でも変わっていないのだが、kkjk 名義の場合はストレートなロックンロール路線、THm の場合は可愛らしいポップ・ロック路線。どちらもカケジクという目立つ個性の持ち主が中心にありつつも、サウンドやビジュアルの住み分けが的確で、どちらもぴたりとハマっている。

THm としてのけんけんは、カケジクの個性を上手く引き出しつつも、明らかに kkjk ではあり得ない、牧歌的ともいえる、和み系のポップ・ロックを作り出していた。そして、それはカケジクの個性にハマっていただけではなく、けんけん自身の個性にもピッタリだった。

聴いている人を、ほんわかと幸せな気分にさせてくれる、そんな和みのポップスが、けんけんにはとっても似合ってる。

だから、今回披露された2曲は、まさに THm という組み合わせでしかありえない曲だったと思う。けんけんとの組み合わせだからこそ成立し得た、今回のハッピーな雰囲気のライブだった。

3月13日に東京でおこなわれた Sound Capsule05 がラスト・ライブになってしまうのはもったいないなー、と思っていたら、本人たちもそう思っていたのか、年内で活動満了の Device Thousand も、SOUND SUMMIT 2005に登場。

今回のライブでは、ネットラジオで先行公開していた新曲「SIRIUS」を、ニュー・バージョンで初披露。

続く「SHINING」は、かねてからライブで聴きたいと思っていた曲だったので、今回の選曲は個人的に嬉しかった。

ただ、おそらく本人たちにとっては、いろいろと悔いの残るライブだったと思う。非常にタイトなスケジュールを縫っての出演だっただけに、ふたりそろっての練習時間が、なかなか思うようには取れなかったのかもしれない。

次回の North Point ~RAINBOW~のライブで、ぜひリベンジを!

藤嶋は東京在住(正確には東京近郊在住)でありながら、Sweet Bite のライブを観るのは、なんとこの SOUND SUMMIT 2005が初めてだった。スケジュールの都合とはいえ、我ながらトホホ。

Sweet Bite の音楽は、服に例えるなら「ビンテージのジーンズ」だ、って思った。履き込まれているからゴワゴワしてなくて、時代の流行に左右されることなく、誰にでもしっくりきて、しかも高品質。

高品質のバンドは、スタートの時点からすでに完成されてしまっているが故に、その後の作品世界の展開が、意外に限られてしまっているケースも多い。でも、Sweet Bite の場合は、まだ開けていない引き出しの数が、絶対にたくさんあると思う。

daigo のボーカルは、紛れもなくブルースのスタイル。daigo が書いた楽曲群も、まさにブルースそのもの。でも、ミニ・アルバム『Sweet Bite Mini』の1曲目と2曲目という目立つ位置に配置されている「飛べない鳥」と「夏の終わりに」は、ブルースとはまた異なった味わいの曲。それはおそらく、それぞれの作曲を担当した、ギターの mune と、ドラムスの angen のカラーなんだと思う。

こうした、メンバー間の異なるカラーが、個々の楽曲の中で統合されるなり、あるいは個々に鮮鋭化されるかして、これからもブレンドが進んでいくことが予想されるので、Sweet Bite のさらなる新しい展開を、藤嶋は待ち構えていたりします。

SoulmateS のライブは、とにかく全身で聴いてしまう。3月13日の Sound Capsule 05のときに抱いたその印象は、今回の SOUND SUMMIT 2005でも変わらず、またもや曲の世界にぐいぐいと引き込まれた。

今回はそれに加えて、SoulmateS の世界観の振幅の広さを、ライブの現場で改めて再確認させられた、という感じ。「どんなタイプの音楽でもやっちゃうよっ!」という意味での幅広さではなく、明と暗の鮮烈なコントラストが、一つの流れのもとに統合されている、という意味での、振幅の広さ。

彼らのマキシ・シングルを手にして、いつも「なるほどなあ」と思うのは、いわゆるタイトル・チューンを設けていない、ということ。彼らは1枚のシングルの中に、明暗のコントラストが非常に強い複数の楽曲を等しくAサイド扱いで収めて、それらの楽曲に共通する要素や、あるいは全体を貫くコンセプトを、マキシ・シングルのタイトルとしている。つまり、彼らがマキシ・シングルで表現したいことというのは、収録曲のどれか1曲に凝集されているのではなく、楽曲と楽曲のあいだにある緩急や、明暗のコントラストの中にこそある、という気がする。

それと同じことを、観るのは2回目となる今回のライブでも感じた。

今回の選曲には、「暗く激しい情念→悲壮→浄化→前向きな躍動」という一連の流れがあった。そうした、複数の楽曲にまたがっての、音楽による感情の流れの変化の描写は、1st シングルの「S」や、この日にリリースされた最新シングル「Life~君が通り過ぎた後に~」の中でも試みられていること。

つまり、SoulmateS の音楽というのは、複数の楽曲にまたがって感情の浄化をおこない、最終的に人の生を讃える、という方向性を持っている。だから、そのうちのどれか1曲だけを取り出して SoulmateS の世界観を語ることはできない。

鮮やかな明暗のコントラストと緩急、そして浄化へと至る感情の流れの描写は、実際のライブにおいては、演劇的な演出を一切取り入れていないにもかかわらず、まるで1本の映画を観ているかのようなドラマ性に富んでいて、そこに生のボーカルと演奏による説得力が加わることで、まさに字義通りの、音楽によるカタルシス効果をもたらしていた。

Bravo!!

さて、ここで休憩時間。

とかいいながら、不意打ちのような形で、今回は MC として参加のぽんてく=とんちピクルスが、DJブースの中で「かっこうドライブ」を生パフォーマンス。

最初のうちは CD がかかっているのだと思って、のんきに小用を足しにトイレに行ってしまった藤嶋だったが、そのうち「これって、生ラップじゃん!」ということに気づき、まだとんちピクルスのライブに接したことのなかった藤嶋は、せめて音だけでもよく聴こえるようにと思って、慌ててトイレのドアを開け放ち、放尿している姿を他の客に晒しながら、「かっこうドライブ」を聴いた。

だって、どうしても聴きたかったんだもん。

休憩時間のあとは、Trouble Pitt の登場。Guzzle Pitt の KURO と、Trouble3の大悟と普工、そしてパーカッションに響子、という組み合わせ。

KURO の歌を生で聴くのは、昨年の11月14日に東京で開催された『ポニカスキップ~お江戸へ行くの巻~』以来、まだ2回目のはずなのだが、ずっと前から馴染みのあるアーティストのライブを聴いているような、そんな落ち着いた気分に藤嶋は浸っていた。それだけ藤嶋には『ポニカスキップ~お江戸へ行くの巻~』での Guzzle Pitt のライブの体験が、大きく刷り込まれているんだなあ、と思った。あのライブ以来、藤嶋のゲイ・インディーズに対する考え方には、いろいろな変化が生じたので。

今回の Trouble Pitt の組み合わせは、急きょ決まったものらしいんだけど、何度もリハーサルを重ねることで形成される一体感とはまた別に、呼吸を合わせられることが最初からわかっている者同士の組み合わせだからこそ生じる、演奏を通じてのメンバー間の「音の会話」というものが、Trouble Pitt のパフォーマンスにはあって、それがライブならではの楽しさを、オーディエンスに伝えてくれていた。

6月11日の NLGR2005ミュージックベェア 2005でのライブを観て、これが M'KEYS のライブ・パフォーマーとしてのすべてではないな、とは思っていたのだが、今回のライブでの M'KEYS は、オケとピアノ弾語りのスタイルを併用。やっぱり M'KEYS は、実にフレキシビリティの高いパフォーマーだった。

TETSU とのデュエット曲「ボクノシルシ」は、今回はピアノ1本のバラードに衣替え。勇壮なダンス・チューンである CD バージョンを、包み込むような優しさにあふれたスロー・バラードに仕立て直してしまったアレンジの手腕も見事なんだけど、藤嶋が驚かされたのは、そうした弾語りのスタイルと、オケを使用してのダンサブルなスタイルと、ふたつの使い分けが、どちらか一方が他方に対して従属的なものにはなっていなかった、ということだった。

弾語りによって本領を発揮するアーティストもいれば、オケを用いたダンサブルなスタイルで本領を発揮するアーティストもいる。それは純粋に持ち味の違いでしかなく、決して良し悪しとか優劣に関わる要素などではないのだが、M'KEYS はどちらのスタイルでも本領を発揮できるアーティストなので、どちらかのスタイルがイベント的な性質の、特殊なものにはなっておらず、彼の表現スタイルの広範さを、改めて実感させられた。

今回のライブでは、一部で限定先行公開していた新曲「アイタイ…」を披露。この曲を通して、これからやりたい音楽の方向性が見えてきた、と語っている M'KEYS だが、その新しい M'KEYS の音楽が早く聴けるのを、藤嶋は楽しみに待ってます。

6月11日の NLGR2005ミュージックベェア 2005に続き、観るのは今年2度目となる、OTO-ZOU のライブ。

新曲の「わかった。」が、NLGR2005で聴いたときよりも、心に響いた。

その理由というのは、NLGR2005のときとは MC のスタイルが異なっていたからだと、藤嶋は考えている。

今回の MC は、気負ったところのない、控えめといってもいいほど抑えたトーンの、自然な語りだった。その抑制された自然な語りこそが、オーディエンスの注意を、より楽曲へと向かわせたのだと思う。

MC が不要だといっているのではない。藤嶋がいいたいのは、 MC をシアトリカルな構成の一部とするよりは、今回のように「曲が先ずありき」の語りのほうが、OTO-ZOU の場合には、楽曲をより引き立てることに繋がるのではないか、ということ。

もちろん、どういうタイプの楽曲をパフォーマンスするのかによって、MC のサジ加減も変わってくるとは思うんだけど、「わかった。」という曲に関して言えば、これはもう、とにかく聴いてもらって、そして感じてもらうことがすべての曲だと思う。だから MC は、オーディエンスの聴く体制を整えさせるという最低限の機能さえ果たせればそれでもう充分で、あとは言葉による装飾は大して必要ない。それこそ、「non verbal MUSIC」の中で歌われているように。

そうした意味で、「わかった。」という楽曲は、「non verbal MUSIC」で歌われた OTO-ZOU のコンポーザーとしての理念が、具体的な形を取って昇華された楽曲だと思う。

今までは、ただひたすら「スゴイ! 面白い!」という修辞しか思いつかなかった博多あややなんだけど、今回、新曲「リトル☆グレイ」のパフォーマンスを観て、博多あややという存在の特質が、わかってきたような気がする。

「リトル☆グレイ」の振り付けは、ピンク・レディーのさまざまな楽曲の振り付けをサンプリングして再構築したものなんだけど、おそらくは博多あややという存在そのものが、それと似た性質のものなんだと思う。

つまり、「リトル☆グレイ」のパフォーマンスが、たとえピンク・レディーの記号をサンプリングしたものだとしても、だからといって博多あややがピンク・レディーのパロディそのものではないのと同じように、現在の博多あややは、松浦亜弥のパロディを超えてしまって、さらには女性アイドルのパロディ、いい換えると「女性性のパロディ」という領域すらをも超えてしまって、それらとは別種のパフォーマーと化している。

女性アイドルの記号性というのは、イコール、女性性を記号化したものだからこそ、それを男性のパフォーマーが取り入れただけで、そこには自動的に一定の意味性が発生するし、同時に一定のエンタテインメント性も発生する。でも、博多あややのリスナーやオーディエンスが楽しみにしているのは、そうした自動的に発生する性質の部分ではなく、それらの上に博多あやや自身が付与した、「パフォーマーとしての技量」、ではなかろうか。

博多あややの支持層が女性アイドルのファンだけに限られていないのは、そこに理由がある。

博多あややの音楽とパフォーマンスの中心にあるのは、「博多あやや自身の強烈な個性」と、「パフォーマーとしての技量の高さ」だ。女性アイドルをパロディ化することによって自動的に生じる意味性に、博多あややは自らのパフォーマーとしての存在価値を、いっさい依存していない。博多あややにとって、女性アイドルの記号性というのは、極論すれば、博多あややというキャラクターを構成する、遺伝情報の一つでしかない。あくまでも極論だけどね。

だからこそ博多あややは、先述したように「別種のパフォーマー」だと思うのだ。

形式上は女性アイドルのパロディとして、ゲイ・ミュージックの最右翼に位置していながらも、同時にそのパフォーマーとしての高い技量ゆえに、博多あややは、女性性の記号化云々という「性の二元論」に基づいた存り方を、超越しちゃってるんだよね。その超越したところで、オーディエンスの老若男女を問わない上質のエンタテインメントを繰り広げているパフォーマー、それが博多あややなんだと思う。

藤嶋的に今回一番ヒットだったのが、ゲイ・インディーズのライブには初登場の caRcha

俗な説明の仕方をするなら、その歌声は、鈴木聖美の野郎っぽさを備えた吉田美和、という感じ。でも、世界観そのものは非常に柔らかい雰囲気で、「愛の賛歌」のカバーも、オリジナルの「蜃気楼」も、どちらも素晴らしかった。

caRcha の曲は、もちろん日本語で歌われたものなんだけど、その雰囲気自体は、アメリカで放映されている、ビアンのキャラクターがメインのTVドラマ『The L Word』に似合うんじゃないか、という気がした。とかいいつつ、藤嶋はこのドラマを、ちゃんと観たことがないんだけど(笑)。

でも、『The L Word』に挿入曲として用いられている、バイセクシャルの女性アーティスト、キニー・スターの「Alright」という楽曲を聴いて感じたのと同じ感覚を、藤嶋は caRcha の曲と歌声を聴いたときにも、感じたんだよね。

グルーヴがあるのに、ゆったりと穏やかで、しかもセクシャルで、だからこそ潤った充足と癒しを与えてくれるような、そんな心地良い感覚を。

あと、響子の「I LOVE YOU SO」のニュー・バージョン、これが最高だった!

CDバージョンは、言葉と歌声が感情にダイレクトに刺さってくるような、すごくパーソナルな印象なんだけど、今回のニュー・バージョンは、まるで映画の主題歌を聴いているときのように、映像が頭の中に浮かんできた。

今まではひとりきりの部屋の中で奏でられていたメロディーが、今度は風の吹きすさぶ広大な草原に向かって、ウワーッと拡がっていったような、そんな感じ。

そういうドラマティックな映像を喚起する力が、今回の「I LOVE YOU SO」にはあった。

しかもその映像は、caRcha のラップが加わっていることで、まるで物語が大きく転換したときのように、実に劇的に、場面が切り替わる。

もー、ムチャクチャ格好良かった!

今回の Rights Of Dark の「DISCLOSURE」の演出には、驚かされたと同時に、ものすごく笑わせてもらった。もちろん、何回も使える手じゃないけど、コミカルな演出それ自体は、 Rights Of Dark はもっとやってもいいと思う。

オフステージでのふたりの人柄を知っているからそう思うのかもしれないけど、ライブならではのコミカルな側面もあったほうが、Rights Of Dark はいろんな面でバランスがより良く取れるのではないか、という気がする。

というのも、ライブは文字通り「ナマモノ」だから、パフォーマンスする側が見せたいと思っている以外のものも、オーディエンスの目や耳には見えてしまうし、届いてしまう。

だからこそ、会場の空気を読んで、その流れを自分たちの側に持っていくためのスキルの一つとして、今回のように臨機応変な、コミカルな演出は、これからも Rights Of Dark のライブにはあってもいいんじゃないかな。

トリのおわっとうは、東京での Sound Capsule 05のライブにおいては、セットの関係上、思うように動けなかったはずで、ようやくおわっとう本来の、動きのあるスタイルを観ることができた。

今回のパフォーマンスを観て思ったのは、おわっとうというユニットは、3人の個性が融合しているというよりも、「一粒で三度おいしい」ユニットだ、ということだった。

今回、MC.Molly こと Mocky に、すごく華を感じたんですよ。単にセンターで歌っていたからじゃなく、トリとしての出演に、気合いの入り方の質が違っていたように思う。MC.Mular や MC.Yamar と比べての話ではなく、藤嶋が東京で観た Sound Capsule 05のパフォーマンスと比べて、という意味で。

だから、3人のメンバーの個性のバランスが、3月の東京でのライブのときとは、違ったものに見えた。

3月のライブでは、「個性の対照」のほうが際立って見えたんだけど、今回のライブでは、「対照」というよりは、「個性の競合」という感じだった。もちろん良い意味で。3人が華を競い合っているふうに見えたパフォーマンスだった。

例として挙げるにはヘンかもしれないけど、たとえばジャニーズ事務所のアイドル・グループは、ひとりひとりのメンバーの個性がかなり違う。これは、異なった個性のメンバーを一つのグループの中に収めて、異なったファン層をメンバーごとに集めることによって、母体となるグループのファン層をも拡大する、という戦略によるもの。これと同じ戦略は、欧米のボーイバンドでもおこなわれているんだけど、ボーイバンドの場合は、メンバーのソロ活動は必ずグループの解散や活動休止を伴うものなので、たとえばSMAPのように、メンバーの全員がソロ活動を通して大物化したことによって、グループそのものの存在感も、それに伴って巨大化するという相乗効果の例が、欧米のボーイバンドにはほとんど見られない。

そうした相乗効果に近い図式が、おわっとうの組み合わせにも生じていると思った。といっても、メンバーのソロ活動を促そうとしてこういうことを書いているわけではなくて、メンバーがグループの中で個々に華を競い合うことによって、グループとしての存在感も同時に強まり、大きくなっている、ということ。そうした雰囲気を、今回のライブでは感じた。

トリにふさわしい、メンバーそれぞれの個性が華やかなライブだった。

Text by Takaki Fujishima

(文中敬称略)



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