クィア・ミュージックの情報アーカイブ


Queer Musicians -Overseas-

フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド

Frankie Goes To Hollywood

ジャンル:ポップ

Relax

Welcome To The Pleasuredome

Legendary Children (All Of Them Queer)

関連リンク


バイオグラフィー

掲載日:2006年8月2日、最終更新日:2006年8月2日

'80年代中期のイギリスのミュージック・シーンで歴史的成功を収めた、リバプール発のポップ・バンド。デビュー時のメンバーは、リード・ボーカルのホリー・ジョンソン、バック・ボーカルのポール・ラザフォード、ギターのブライアン・ナッシュ、ベースのマーク・オトゥール、そしてドラムスのピーター・ギル。この5人のうち、ホリー・ジョンソンとポール・ラザフォードのふたりがオープンリー・ゲイである。ホリーは1960年2月9日生まれ、ポールは1959年12月8日生まれで、共にリバプール出身。

'70年代の末頃、リバプールのパンク・シーンで、フランキーの原型にあたるサンズ・オブ・エジプトというバンドが結成され、その後、幾度かのメンバー・チェンジを経て、1982年、先述の5人が顔をそろえ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドを名乗るようになった。バンド名は、歌手のフランク・シナトラの映画界進出を報じた『New Yorker』誌の記事の見出しから引用されたというのが現在の定説。

1983年、フランキーは、チャンネル4の人気番組『The Tube』への出演によって、メジャー・デビューへのきっかけをつかんだ。この『The Tube』は、新人バンドのパフォーマンスを独占映像で紹介するショーケース番組で、フランキーは、後の大ヒット曲「Relax」を演奏した。

"Relax"
(from the TV Show "The Tube", 1983)

『The Tube』でのパフォーマンスがきっかけとなり、1983年5月、彼らは希代の名プロデューサー、トレヴァー・ホーンの主宰する ZTT レーベルと契約を交わすことになり、同年10月、「Relax」でメジャー・デビューを果たした。翌1984年1月には「Relax」は Top40入りを果たし、BBC の長寿音楽番組『Top Of The Pops』にも出演した。

ちょうどその頃、BBC ラジオ1の人気 DJ マイク・リードが、「Relax」の性的内容とジャケットのデザインに不快感を示し、生放送中に「Relax」のレコードをターンテーブルから外すという事件が起こった。これを受け、BBC は急きょ「Relax」の放送禁止を決定、SMをモチーフとした「Relax」のビデオ・クリップも、BBC と MTV で放映禁止となった。

"Relax"
リラックス
(1984)

この騒ぎは、しかしフランキーへの大衆の注目をより強めることとなり、「Relax」はイギリスのヒットチャートの首位を5週に渡って独走する、メガ・ヒット曲となった。これは、メディアの規制が反って大きなプロモーションに繋がるという、実に初めてのケースであった。

さらに続いて、今度はフランキーが「Relax」を実際には演奏していないという噂が拡がり始めた。この噂の内容は事実であり、「Relax」の最初のバージョンは、セッション・バンドが演奏していた。プロデューサーのトレヴァー・ホーンは、フランキーの演奏による新しいバージョンを後からリリース。この騒動も、結果的には「Relax」のロング・ヒットに結びつく要因となった。

こうした一連の騒動は、ポップ・レコードの従来のプロモーション方法を大きく覆すこととなった。論争を引き起こして話題を集める手法は、以降はマドンナを始めとする、主に性的なテーマを取り扱う女性アーティストたちによって積極的に実践され、完全に一般化した。トレヴァー・ホーンが後にプロデュースに関わったロシアの女性ポップ・デュオ、t.A.T.u.も、この路線を踏襲していた。さらに、別バージョンのリリースによって売り上げが伸びたという事実も、フランキー以降はひとつの手法として定着し、DJ 用のアイテムだった別バージョン収録の12インチ・シングルは、今日では大衆向けのアイテムとして完全に一般化した。

1984年5月、フランキーはセカンド・シングル「Two Tribes」をリリースした。当時の米ソ冷戦を批判したこの曲のビデオ・クリップは、当時のレーガン米大統領とソ連のチェルネンコ書記長のそっくりさんが血みどろのレスリングを繰り広げるという内容で、またもや放映禁止となったが、そうした規制が話題となり、「Two Tribes」は前作をさらに上回る、9週連続の No.1ヒットとなった。

"Two Tribes"
トゥー・トライブス
(1984)

1984年10月には、ファースト・アルバム『Welcome To The Pleasuredome』をリリース。当時のヴィニール盤では2枚組となる70分強のアルバムで、タイトル曲の「Welcome To The Pleasuredome」は12分もの長さにおよび、これ1曲でディスク1の A 面をほぼ占めていた。このアルバムも全英 No.1に輝き、ミリオン・セラーを記録。しかし批評家からは酷評された。

1984年11月には、バラード「The Power Of Love」がシングル・カット。クリスマス・シーズンのイギリスで、デビューから3曲連続の No.1を記録した。翌1985年3月には、アルバムのタイトル・トラック「Welcome To The Pleasuredome」が、エディットされてシングル・カット。全英最高2位を記録した。

ここまでは向かうところ敵なしだったフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドだが、この頃から雲行きが怪しくなり始めた。メンバー間の雰囲気が険悪となり、バンド内には一触即発の緊張感が漂うようになった。また、デビュー時の勢いがあまりにも桁外れだったため、シングル「Welcome To The Pleasuredome」の2位止まりという成績は、フランキーの人気降下を印象づけてしまった。

それを実証するかのように、ニュー・アルバムからの先行シングルとして1986年8月にリリースされた「Rage Hard」は全英最高位4位、11月リリースの「Warriors Of The Wasteland」は全英最高位19位、翌1987年2月の「Watching The Wildlife」は全英最高位28位と、ヒットチャートの成績は徐々に落ち込んでいった。これらのシングルを収録した、1986年10月リリースのセカンド・アルバム『Liverpool』も、全英での最高位は5位に留った。

そして、『Liverpool』のプロモーション・ツアー中の1987年1月、ベースのマーク・オトゥールとホリー・ジョンソンが、ついにウエンブリー・アリーナのバックステージで衝突。ツアー終了後、ホリーはフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドから脱退を表明。バンドは解散となってしまった。

その後、ホリーはイメージをヤッピー風に変え、1989年に MCA レコードからファースト・ソロ・アルバム『Blast』をリリース。全英 No.1となったこのアルバムからは、「Love Train」「Americanos」「Atomic City」の3曲がシングル・カットされた。さらに1991年には、セカンド・アルバム『Dreams That Money Can't Buy』をリリース。しかし、このアルバムの製作中にホリーは MCA とも関係を悪化させ、この作品を最後に、ホリーは MCA からは離れている。

"Love Train"
ラヴ・トレイン
(1989)

一方、フランキーのもうひとりの顔であったポール・ラザフォードも、やはり1989年に、ソロ・アルバム『Oh World』をリリースしているが、その後はパートナーとともにニュージーランドへと移住。農園を営んでいる。

"Oh World"
(1989)

1991年11月、ホリー・ジョンソンは、自身の HIV 陽性が判明した。一切の音楽活動を休止し、彼は自伝の執筆に取り掛かった。2年後の1993年、ホリーは『The Times』紙上で、HIV 陽性であることを公に発表した。

翌年、ホリーは自伝『A Born In My Flute』を出版。休止していた音楽活動も再開し、ゲイ・コミュニティからの長年に渡るサポートへの感謝の印として、シングル「Legendary Children (All Of Them Queer)」をリリースした。さらにホリーは、ストーンウォールの反乱25周年を記念するゲイ・プライド・フェスティバルにも出演。15万人の観衆を前に、パフォーマンスをおこなった。

同じ年、ホリーは世界で最も有名な日本人アーティストの一人である坂本龍一のアルバム『Sweet Revenge』にもゲスト参加。「Love And Hate」で作詞とフィーチャリング・ボーカルを務めた。

"Love And Hate"
(Ryuichi Sakamoto featuring Holly Johnson)

ラヴ・アンド・ヘイト
(1994)

以後のホリーは、音楽活動よりも画家としての活動に力を入れているが、1998年には自身のレーベル、Pleasuredome を設立。1999年にシングル「Disco Heaven」をリリースしている。この曲のビデオ・クリップには、ボーイ・ジョージがカメオ出演した。

2003年、音楽チャンネル VH-1の番組『Bands Reunited』の企画によって、元フランキーの5人は再び顔を合わせることとなった。しかし、番組のスタッフが希望していたバンドの再結成までは実現に到らなかった。翌2004年には、トレヴァー・ホーンの25年に渡る音楽業界への貢献を讃える記念イベントのために、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの再結成の企画が再び浮上した。しかし、ホリー・ジョンソンとギターのブライアン・ナッシュがこれに応じなかったため、ふたりに替わる新メンバーとして、ギターにはサンズ・オブ・エジプト時代のメンバーであったジェド・オトゥールが参加。そして新ボーカリストには、シンガー・ソングライターのライアン・モロイが、オーディションで選ばれた。ライアンはミュージカル俳優としての実績もあり、ボーイ・ジョージの自伝的ミュージカル『Taboo』でスティーブ・ストレンジ役を演じていた。

この新生フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドは、一過性のものではなく、以後も活動を継続。2005年にはライブ・ツアーも敢行している。

(文中敬称略)



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