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Queer Musicians -Overseas-

ジョージ・マイケル

George Michael

ジャンル:ポップ

Faith

Patience

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バイオグラフィー

掲載日:2006年5月24日、最終更新日:2006年5月24日

1963年6月25日生まれ。本名ジョルジオ・キリアコス・パネイトウ。ジョージ・マイケルという名前は、彼が子どものころから想像していた架空のヒーローの名前であり、本来の内気な自分とは異なるもう一人の自分になるために、この名前を名乗るようになったという。1981年に、幼なじみのアンドリュー・リッジリーとポップ・デュオのワム!を結成し、1983年にイギリスの CBS ソニーからデビューした。そして'80年代中期に、本国イギリスやアメリカ、日本などを中心に、世界的な人気を誇った。

初期のワム!は、ラップを取り入れたディスコ調のデビュー曲「ワム・ラップ! [Wham Rap! (Enjoy What You Do)]」「ヤング・ガンズ [Young Guns (Go For It)]」といったシングルのヒットにより、イギリスの中産階級の若者たちの不満の代弁者というイメージが形成されていた。その点で、当時隆盛を誇っていたニュー・ロマンティック系バンド群とは一線を画していた彼らだったが、日本の洋楽ファンのあいだでは、ニュー・ロマンティック勢の代表格であるデュラン・デュランやカルチャー・クラブと並ぶ、UK アイドル・バンドの三羽烏的な存在として、人気を博していた。

しかし、中産階級の代弁者というイメージは、ワム!のふたりが本来意図していたものではなかった。彼らは本格的な米国進出にあたり、イメージをヤッピー風に変え、サウンドもモータウン風のブルー・アイド・ソウル路線に転じ、2nd アルバム『メイク・イット・ビッグ (Make It Big)』を、1984年にリリースした。

アメリカでのシングル第1弾となった「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ (Wake Me Up Before You Go Go)」は、見事 No.1を記録。続いて「ケアレス・ウィスパー (Careless Whisper)」「恋のかけひき (Everything She Wants)」も連続して No.1に輝いた。特に「ケアレス・ウィスパー」は、同年に6週連続 No.1を記録したマドンナの「Like A Virgin」を抑え、1985年の年間シングル・チャートの首位も制した。日本でも、いわゆる新御三家の西城秀樹と郷ひろみが競ってカバー・バージョンを発表するなど、ワム!のふたりは完全に時代の寵児となった。

"Wake Me Up Before You Go Go"
ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ
(1984)


"Careless Whisper"
ケアレス・ウィスパー
(1984)

「ケアレス・ウィスパー」は『メイク・イット・ビッグ』の収録曲だが、本国イギリスではジョージ・マイケルのソロ曲としてシングル発売された。アメリカでは Wham featuring George Michael 名義となっている。また、1986年の3rd アルバム『エッジ・オブ・ヘヴン (Music From The Edge Of Heaven)』からは、「ア・ディファレント・コーナー (A Different Corner)」が、やはりジョージのソロ曲としてシングル・カットされている。加えて、ワム!の楽曲の多くがジョージ・マイケル単独の作・プロデュースであることから、ジョージ・マイケルがアンドリューとチームを組む必然を疑問視するファンも多かった。ジョージ・マイケルの性的指向を憶測する声も、これに端を発している。

ワム!は、人気絶頂時の1986年に解散している。この解散を、世間の大半は、ジョージがアンドリューの才能を見限ったかのように解釈したが、当時のマネージャーの証言によると、ワム!というグループは、アンドリューがふたりいるようなものだった、という。ジョージ・マイケルは、ソングライターとしての才能は早くから傑出させていたものの、確固たる方向性を持ってはいなかった。その欠落部分を補っていたのが、アンドリューだったという。ワム!の楽曲の大半は確かにジョージの作・プロデュースだったが、それらはすべて、アンドリューのイメージをなぞったものだった。しかし、次第にジョージの中にアーティストとしての自我が芽生え始めてきた。その現われが「ケアレス・ウィスパー」であり「ア・ディファレント・コーナー」であり、ジョージの自我を尊重したアンドリューが彼を巣立たせたのが、1986年6月の、ワム!の解散であった。

ソロ・アーティストとなったジョージは、アイドルとしてのクリーンなイメージを払拭すべく、1987年、映画『ビバリー・ヒルズ・コップ2 (Beverly Hills Cop II)』のサントラ盤に、「アイ・ウォント・ユア・セックス (I Want Your Sex)」を提供した。タイトルが示すとおり非常に性的なこの曲は、放送禁止の憂き目に遭ったものの、全英で最高3位、全米では最高2位を記録する大ヒット曲となった。

"I Want Your Sex"
アイ・ウォント・ユア・セックス
(1987)

同年11月には、「アイ・ウォント・ユア・セックス」を中核に据えた初のソロ・アルバム『Faith』をリリース。このアルバムからは、ロカビリー調の「Faith」、クールなバラードの「Father Figure」、生徒と教師のあいだの恋を描いた「One More Try」、そしてジャム&ルイスがシングル用にリミックスを手がけた「Monkey」が連続して全米 No.1を記録した。特に「Faith」は1988年度の年間シングル・チャートでも No.1。アルバムも同年の年間アルバム・チャートの首位を制するメガ・ヒット作となり、第32回グラミー賞のアルバム・オブ・ジ・イヤーも受賞。黄金時代を築き上げた。

"Faith"
FAITH
(1987)

1990年6月には、2nd アルバム『Listen Without Prejudice Vol.1』をリリース。この時期のジョージ・マイケルは、自分の人気はその容貌からくるものであって、ソングライターとして正当に評価されてはいないのではないか? という疑心暗鬼にとらわれていた。そのため、このアルバムからのシングルのビデオ・クリップに、ジョージ・マイケルは一切出演していない。そうした露出不足が災いしてか、『Listen Without Prejudice Vol.1』は前作ほどの大ヒット作とはならず、アルバムからカットされたシングルも、先行した「Praying For Time」は全米 No.1を記録したものの、以降は失速。トップ10入りを果たしたのは「Freedom 90」のみで終わっている。なお、「Freedom 90」は、ロビー・ウイリアムスがテイク・ザット脱退後初のソロ・シングルとしてカバーしている。

"Freedom 90"
フリーダム90
(1990)

1993年、ジョージ・マイケルは、『Listen Without Prejudice Vol.1』のアメリカでのセールス不振は、所属レコード会社の CBS ソニーのプロモーション不足に原因があるとして、CBS ソニーを相手どり、訴訟を起こした。このため、ジョージ・マイケルは新作のレコーディングができない状況となり、この期間には、前年におこなわれたフレディ・マーキュリー追悼コンサートの模様を収録した EP 盤『Five Live』しかリリースできなかった。

フレディ追悼コンサートの出演時、ジョージ・マイケルは自分がゲイであることをメディアには明かしていなかったが、'91年にブラジルをツアーした際に知り合った、衣装デザイナーのアンセルモ・フェレッパと交際していた。アンセルモはジョージの初めての男性の恋人で、アンセルモと出会ったことで、ジョージは本当の自分を知ったという。

「僕の人生が変わった瞬間だった。この先、ずっと愛していく人に出会えたと思った。その後の6ヶ月は、それまでの人生で最高の時だった」

しかし、アンセルモは、HIV に感染していた。

それを聞かされたジョージは、以降はエイズ基金のためのチャリティー活動に、大きな力を注ぐようになった。1992年にリリースされたエイズ基金のためのチャリティ・コンピレーション・アルバム『Red Hot & Dance』では、ジョージは参加アーティストの中ではただ一人、新曲を3曲提供した。そのうちの1曲、「Too Funky」は、全米で最高10位のヒット曲となっている。同年に開催されたフレディの追悼コンサートでは、ジョージは亡きフレディに敬意を捧げると共に、病に倒れたアンセルモへの大いなる思慕も胸に抱いて、クイーンの「愛にすべてを (Somebody To Love)」を熱唱した。

そして、アンセルモは1993年3月26日、この世を去った。

"Somebody To Love"
(with Queen)

愛にすべてを
(1992)

一方、ジョージと CBS の争いは、泥沼化していた。結局、ジョージ側が敗訴したのだが、ジョージの才能を高く評価している映画監督のスティーヴン・スピルバーグやデヴィッド・ゲフィンらによるドリームワークス SKG が、二者の仲介に入った。これにより、ジョージと CBS はようやく和解。ジョージは北米では SKG、その他の地域ではヴァージン・レコードに移籍することが決まり、1996年に、3rd アルバム『オールダー (Older)』をリリースした。全英では初登場 No.1、全米でも初登場7位を記録。先行シングルの「ジーザス・トゥ・ア・チャイルド (Jesus To A Child)」は、他界したアンセルモ・フェレッパに捧げられた鎮魂歌で、全英シングル・チャートで初登場 No.1となった。

初めての恋人であるアンセルモをエイズで亡くし、最愛の母も1997年にガンで亡くしたジョージは、その心の傷がようやく癒え始めた1998年5月、ロサンゼルスの自宅から1マイルのところにある、ゲイのあいだではハッテン場として知られていた公園の公衆トイレで、警察の囮捜査にひっかかり、わいせつ罪で現行犯逮捕された。

結果、ジョージ・マイケルは、最悪の形でカミング・アウトを余儀なくされた。

しかし、強かにもジョージは、その逮捕劇を題材に、シングル「アウトサイド (Outside)」をリリースした。この曲は、初のベスト・アルバム『Ladies & Gentlemen』のために書き下ろされた新曲で、そのビデオ・クリップの中では、男性の警官同士のキス・シーンが描かれた。これは、ゲイの振りをしてジョージを公衆トイレの個室に誘い込んで彼を逮捕した、警官のマルチェロ・ロドリゲスへの当てこすりだった。

"Outside"
アウトサイド
(1998)

2002年には、「アイ・ウォント・ユア・セックス」以来のセックス讃歌である「Freeek!」、そして米英両国の首脳を批判した「Shoot The Dog」という、もはや怖いものなどなくなったと言わんばかりに開き直った観のある2枚のシングルを、単発でリリース。その後、かつての係争相手である古巣の CBS と再び契約を結び、アルバム『ペイシェンス (Patience)』をリリース。全英アルバム・チャートで初登場 No.1を記録した。このアルバムからのシングル「フロウレス (Flawless)」は、彼が初めて、ゲイのリスナーに向けて作ったものだという。

"Flawless"
フロウレス
(2003)

2005年には、自伝的な内容のドキュメンタリー映画『ジョージ・マイケル~素顔の告白~ (A Different Story)』が公開された。この映画のプロモーションのために、ジョージ・マイケルは当時の恋人であったケニー・ゴスを伴って来日。その少し前に、英国では事実上の同性婚を認める市民パートナーシップ法が施行され、ジョージはケニー・ゴスとの婚姻の予定があることを明らかにしていた。来日記者会見の席上では、ゲイへの偏見や差別が依然日本では根強いことについて、「それぞれの国の文化の違いによってスピードの違いはあっても、必ず変化する」と述べた。

(文中敬称略)



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