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Queer Musicians.

シネイド・オコナー
Sinead O'Connor

ファンサイト http://www.sinead-oconnor.com/
The Lion And The Cobra

I Do Not Want What I Haven't Got

 1966年12月8日、アイルランドのダブリン生まれ。1990年に発表したシングル「Nothing Compares 2 U」(邦題:「愛の哀しみ」)、およびアルバム『I Do Not Want What I Haven't Got』(邦題:『蒼い囁き』)が、英米を始め世界各国で No.1を記録する大ヒットとなり、後続の女性ロック・アーティストたちに多大な影響を与えたことで知られる。

 1982年、14歳でシネイドは、In Tua Nua というバンドを組んでミュージシャンとしてデビューした。しかし翌年、まだカトリック系の学校に通う学生だったシネイドは、万引きの常習犯として鑑別所に入れられている。幼少期に体験した両親の離別や、母親から性的虐待を受けていたトラウマが原因で、当時の彼女の精神は荒み切っていた。その母親が交通事故で亡くなって独りとなったシネイドは、1985年にロンドンに移住。辛い過去への呪詛と怒りをエネルギーに、1988年に1st アルバム『The Lion And The Cobra』を発表した。

 ハード・ロックにアイリッシュ・フォークの要素をミックスした攻撃的な作風と、スキンヘッドにドクターマーチンのブーツをトレードマークとするネオ・ナチ風のタフなファッションが相まって、彼女は硬派のロック・ファンのあいだで一躍有名になった。

 そんな彼女が、主流のポップス・シーンでも広く名を知られるようになったのが、先述したシングル「Nothing Compares 2 U」と、2nd アルバム『I Do Not Want What I Haven't Got』の大ヒットであった。

「Nothing Compares 2 U」は、もともとはミネアポリス・ファンクの大御所、プリンスが、ザ・ファミリーというバンドのために書き下ろしたバラード。シネイドはこの曲を、後にビョークやマドンナの作品を手がけたネリー・フーパーのプロデュースによってカヴァーした。シネイドの「Nothing Compares 2 U」は、本国アイルランドはもちろん、イギリス、アメリカを始めとした世界17ヵ国で No.1となり、1990年度のMTVミュージック・アワードでは、最優秀ヴィデオ、最優秀女性アーティストなど3部門で栄冠に輝いた。しっとりと歌い上げる中にも、パンクのような鋭いシャウトと、繊細なファルセットが入り混じる彼女の表情豊かなヴォーカル・スタイルは、後続の女性オルタナティヴ・ロック・アーティストの多くが模倣した。

"Nothing Compares 2 U"
愛の哀しみ
(1990)

「Nothing Compares 2 U」も、そして収録アルバムの『I Do Not Want What I Haven't Got』も、攻撃的だった1st アルバムとは打って変わって、非常に静かで穏やかな、ほとんど癒し系といってもいいほどの作品だった。この急激な変化を、彼女は1990年の『The Face』2月号のインタヴューの中で、「幸せになったからよ。幸せになって初めて、以前の私がどれほどひどかったか、どれほど人に突っかかっていたかに気がついたの」と説明した。シネイドは、1st アルバムの製作を通じて知り合ったドラマーのジョン・レイノルズとのあいだに、ジェイクという男の子をもうけていた。一時はシネイドを捨てて別の女性と暮らしていたジョンも、またシネイドのもとに戻ってきて、親子3人で幸せに暮らしている、そのことが彼女の作風を大きく変えたのだった。『I Do Not Want What I Haven't Got』は、ジョン・レイノルズとジェイクに捧げられたアルバムだった。

 しかし、作風が穏やかに変化したとはいえ、彼女の政治的に過激な言動は、「Nothing Compares 2 U」の大ヒット以降も、変わることはなかった。むしろ、彼女が世界的に有名になったからこそ、彼女の言動が巻き起こす騒動の規模は、さらに大きくなったと言える。

 ニュー・ジャージーでのコンサートでは、シネイドはオープニングで流されるアメリカ国歌を拒否して、アメリカ国民の怒りを買った。また、1992年にはアメリカの人気TV番組『Saturday Night Live』でボブ・マーリーの「War」を歌い終えた後に、突然「本当の敵と闘うのよ!」とカメラの前で当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世の写真を破り捨てた。その少し前に発売された『Rolling Stone』誌のインタヴューで、彼女は敬虔なカトリック教徒を自認しつつも、組織化された宗教を苛烈に批判していた。曰く「あいつらが世界を牛耳っている」あるいは「私たちは地獄で生きている。悪魔の勝利は近い。その悪魔は、白い詰襟を着て、赤い帽子を被っている(←つまり、ローマ法王のこと)」など。

 シネイドのこうした発言の真意というのは、レイプによって妊娠してしまった少女の中絶を認めようとしない、アイルランドの法律の、その思想的背景に横たわる、キリスト教原理主義を批判することにあった。

"War"
(from TV show "Saturday Night Live", 1992)

『Saturday Night Live』での騒動の2週間後に、シネイドはボブ・ディランのデビュー30周年を記念するトリビュート・コンサートに出演。しかし2万人の観客は、彼女に「アイルランドに帰れ!」と激しいブーイングを浴びせかけ、これに深く傷ついた彼女は、ステージを降りてしまった。

 こうした一連の騒ぎの後にリリースされたスタンダード・カヴァー集『Am I Not Your Girl?』(邦題:『永遠の詩集』)は、前作の大ヒットがまるで嘘だったかのように、全米アルバム・チャートでの成績はわずか29位と奮わず、しかも9週間でチャート上から姿を消してしまった。

 リスナーやオーディエンスだけではなく、同業のミュージシャンからも非難を浴びるようになった彼女は、発作的に引退宣言をするが、2年後の1994年には、アルバム『Universal Mother』をリリースして復帰。ただし、マスコミへの露出は極度に控えるようになった。1997年にはEP盤『Gospel Oak』と、ベスト・アルバム『So Far...The Best Of』をリリースしている。

 1999年、シネイドがローマ・カトリック教会の分派であるラテン・カトリック教会の女性聖職者に任命されたというニュースが世界中を駆け巡り、以前の彼女を知る人々を大いに驚かせた。聖職者となったシネイドは『Saturday Night Live』での騒動について、ここで謝罪の意を表明した。

 2000年6月には、レゲエの影響が色濃いアルバム『Faith and Courage』(邦題:『生きる力』)をリリース。そして、このアルバムと全く同じタイミングで発売された、アメリカのレズビアン雑誌『Curve』でのインタヴューで、シネイドは自分がレズビアンであると告白した。

「今まではオープンにしてこなかったけど……私はレズビアンよ。でも、レズビアンであることに必ずしも居心地の良さを感じなかったから、私はずっと男と付き合ってきた。でも、実際にはレズビアンなの。」

「男の人も好きだけど、女性とセックスするほうが私は好きだし、女性とのロマンティックな関係のほうがいいわ。」

 また、『Faith and Courage』からのシングル「No Man's Woman」も、女性同性愛を歌ったものではないかという憶測を呼んで話題となった。

"No Man's Woman"
ノー・マンズ・ウーマン
(2000)

 2001年5月、ペット・ショップ・ボーイズのニール・テナントが企画した、メジャー級のオープンリー・ゲイ・アーティストが集まる全米ライヴ・ツアー、“Wotapalava Festival”に、シネイドも出演することが発表された。シネイドは、ペット・ショップ・ボーイズ、ソフト・セル、ルーファス・ウェインライトらと共にメイン・アクトとして出演する予定だったが、ツアー初日のわずか2週間前という7月2日に、突如として“Wotapalava Festival”の開催は翌年に延期されると発表された。実はシネイドは、その1ヶ月ほど前に、「やむを得ぬ家庭の事情」を理由に、“Wotapalava Festival”への出演をキャンセルしていたのだが、シネイドの代わりとなる適当なアーティストが見つからなかったため、“Wotapalava Festival”は仕方なく延期となったのであった。そしてシネイドの「やむを得ぬ家庭の事情」というのは、シネイドが出演をキャンセルした一週間後に明らかになった。それは、シネイドが英国人の男性ジャーナリスト、ニック・ソムラードと結婚するというニュースであった。

 結局、“Wotapalava Festival”は翌年になっても開催されることはなかった。

 その後のシネイドは、2002年にアイリッシュ・トラッドのカヴァー集『Sean-Nos Nua』(邦題:『永遠の魂』)をリリース。2003年4月には、これが2度目となる引退宣言を発表、同年7月から実際に活動を休止していた。しかし、2005年の5月に、彼女のこれまでのコラボレーション作品が一枚にまとめられたコンピレーション・アルバム『Collaborations』が発売され、引退宣言は撤回された。そして9月には、70年代のレゲエのカヴァー集となるニュー・アルバム『Throw Down Your Arms』の発売を10月に控えていることや、『Throw Down Your Arms』のプロデューサーであるスライ&ロビーと11月からライヴ・ツアーを行なうことなどが発表された。『Throw Down Your Arms』には、シネイドが『Saturday Night Live』でヨハネ・パウロ2世の写真を破ったときに歌っていた、ボブ・マーリーの「War」も収録が予定されている。

 なお、彼女の名前のカナ表記であるが、『The Lion And The Cobra』から『Universal Mother』までは「シンニード・オコナー」として日本に紹介されてきたが、「Sinead」が「シンニード」と発音されることは実際にはなく、『So Far...The Best Of』からは「シニード・オコナー」と表記が変わった。さらに『Sean-Nos Nua』の日本発売時には、より正確な発音に近い「シネイド・オコナー」に表記が改められた。ところが、『Collaborations』の国内盤では、表記が再び「シニード・オコナー」に戻っており、彼女の名前のカナ表記は一定していない。まもなく発売される新作『Throw Down Your Arms』の国内盤の発売元となったビクターエンタテインメントのサイトでは、今のところ表記は「シネイド・オコナー」となっている。


(掲載日:2005年9月16日、最終更新日:2005年9月16日)


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